昭和13年、豊岡町に陸軍航空士官学校が設立したことが、入間の歴史に大きく影響しています。昭和20年の敗戦後、米国を主力とした進駐軍によってここはジョンソン基地となりました。昭和53年、全面返還されるまでここにはアメリカがありました。
“あのころ”の様子は、断片的に語り継がれています。しかし、形として目にできるものは思いのほか少なく、基地の周辺に町が広がる要因も進駐軍が大きく影響していました。町の中に残る痕跡や当時の写真から読み取れる様子を「入間の記憶遺産」としてまとめ、市民で共有することが本事業の目的です。
今回は“あのころ”のことを巻田一成さん(入間市民大学企画運営委員会委員)に語っていただき、その後に平成28年度入間市市民提案型協働事業の報告を行います。
“あのころ”の様子は、断片的に語り継がれています。しかし、形として目にできるものは思いのほか少なく、基地の周辺に町が広がる要因も進駐軍が大きく影響していました。町の中に残る痕跡や当時の写真から読み取れる様子を「入間の記憶遺産」としてまとめ、市民で共有することが本事業の目的です。
今回は“あのころ”のことを巻田一成さん(入間市民大学企画運営委員会委員)に語っていただき、その後に平成28年度入間市市民提案型協働事業の報告を行います。